指で念入りに直腸内を触診した後で、肛門鏡を使って腸内の状態を診ると、硬便が確認されたので浣腸の施術を開始。ガラス浣腸器で薬液を浣腸してから、ディスポーザブルの紙パンツを患者に履かせて充分に我慢させる。そのまま腹部へのマッサージを行うと、便意が我慢を超えてしまい、肛門から薬液が溢れ出し紙パンツを汚してしまう。 色の付いた特殊な薬液1000ccを、イルリガートルを使用して高圧浣腸。小型のイルリガートルで微温湯を浣腸した後に、器具の高さを調節することで注入と排泄を繰り返して、腸内の汚れを洗浄する。シリンダー浣腸器で強い薬液を注入し、紙おむつを当てて腹部をマッサージすると、大きな排泄音を立てて腸内に残った便が紙おむつを汚していく。 手枷の付いた婦人科内診台に、開脚状態で座らせた患者の四肢を固定し、肛門および直腸の拡張トレーニングを行う。指による入念なマッサージの後に、拡張用のブジーを肛門に挿入。小指程度の太さから始めて、最終的には男性の親指よりも太い棒で拡張する。刺激によって腸内に下りてきたガスを、器具挿入で放出させる。仕上げには大腸の形状を模した巨大なシリコン製田入れーたーを、限界まで腸内に埋め込んでいく。
レビュー
平均評価: (レビュー数:2)
今から、63年ほど前の体験を思い出しましたね。
私は、現在66歳で、母親は89歳なのですが、今から63年ほど前の体験を思い出すビデオでしたね。今から63年ほど前のことです。今は見る影もない婆さんになってしまった母親でしたが、当時26歳の母親は、自分の口から言うのも恥ずかしいのですが、女優の岡田茉莉子似の、目立つ顔立ちの女性でした。幼いころの私は、母に連れられて、大阪市内の大学病院に連れていかれました。私が、病気ということではなく、母自身が治療を受けるために、家を留守にしないとならないという事で私を同行させたのです。長い間、待合室で待たされました。漸く、母が呼ばれて私は、待合室の椅子でそのまま待っているようにいわれましたが、、、、幼かった私は悪戯心に導かれ、母の入っていった診察室の隣の扉から、看護師(当時は看護婦)が急いで出ていく姿を見て、その扉から、部屋の中に無断で入りました。中に入ると、透かしの入った衝立が置かれていて、となりの診察室の様子が見えました。後姿の女性は、まぎれもなく母でした。母は、看護師から説明を受けていました。やがて、母は服を脱いで下着姿になり、このビデオのような診察台に仰向けに載りました。看護師は、母のスリップを上半身までたくし上げると、白い母の履いていた下着を剥ぎ取るように脱がし、両手両足を載せている拘束器具の両端から、ベルトを回して両手両足を固定し下半身が全裸の状態で拘束し、看護師は横からカーテンを引いて、母の下半身だけが剥き出しの状態で遮断すると、診察台のライトを点けて、母の局部を照らしました。そして、何かをマイクで伝えると、二人の白衣を着た医師が入ってきて、診察台の前に置かれた椅子に並んで座りました。彼らの目からは、母の極限まで開かされた局部と、肛門は丸見えでしたでしょう。その後、先ほどの看護師が、治療器具や薬品を積んだワゴンを押して、反対側から再び入ってきました。隠れて見ていた幼い私は、良く見えなかったのですが、医師たちは、時折顔を見合わせながら、母の肛門に様々な医療器具を出したり入れたりしていたように思えます。その都度、母の白い足が動いていた覚えもあります。多分、肛門開口器を出し入れしていたのだと、、そして、見たこともないガラス製の注射器のようなものを、母の股間に入れて、ピストンを押して注入したように覚えています。あれは浣腸をしていたのでしょう。あの時の体験を思い出しました。
まじめ。
肛門鏡を使うシーンがあるがモザイクがデカすぎて何してるかわからん。まじめで、浣腸の作業を淡々とこなす。アナル以外は責めない。まじめすぎて教材をみてるかのようでエロを感じなかった。話し方は先生らしくて素晴らしいのだが、行動はふさげてて欲しかった。声が出たり膣から粘液が出るといけないからディルドギャグやディルドパンツを装着させてから浣腸をして欲しかった。